人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

学問・教養

「命のビザ」で知られる外交官、杉原千畝(ちうね)のとんでもない偉業

その偉業とは 第2次大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとした2千人以上(番号が付され記録されているものだけでも2,139枚)のユダヤ人に「通過ビザ」を発給し、日本経由の避難を助けたのでした。 杉原千畝(ちうね) これはその時のビザです。 杉原領事代…

観光立国となった日本の課題は、自虐史観からの目覚め

日本が観光立国となった理由は、外国人にとって日本文化が、とても魅力的で衝撃的だからです。日本人はその文化にもっと自信を持って自虐史観から目覚めて欲しものです。 1 外国人観光客の急激な増加で自国の良さを見直し始めた日本人 2 自虐史観から脱却…

ソ連の満州侵攻・・・あの夏、僕は母と妹を殺した。

今回のお話は大変ショッキングな内容なんですが、戦後生まれの私自身も含め知っておかなければならない戦時の事実をお話します。*****************************************************************あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなか…

独学で座禅をマスターする方法

今日は座禅について、少々、蘊蓄したく存じます。 思想的背景 臨済宗は、疑問を抱きつつ坐禅することにより悟りに至る看話禅の立場を採る。これに対し、曹洞宗は何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐禅そのものが目的であり、坐ること自体に集中…

⑤ ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

ジョン万次郎若かりし日の写真 1851年ジョン万次郎が国内に持ち込んだのがはじめとされるネクタイ姿 1851年、万次郎がアメリカから帰国した時の所持品目録に「白鹿襟飾三個」と有り、まぎれもなくネクタイを着用していたことを伺わます。「白鹿襟飾3個」、…

④ ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

ジョン万次郎=中浜万次郎 助けて教育してくれてホイットフィールド船長 150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰国し、日本の夜明けや国際交流に多大な功績を遺したジョン万次郎。 民主主義や外国で…

③ ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

ジョン万次郎=中浜万次郎 150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰国し、日本の夜明けや国際交流に多大な功績を遺したジョン万次郎。 民主主義や外国での生活・考え方など、坂本龍馬の開眼も万次郎の…

② ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

資料館 公式サイト 銅像は足摺岬に近い中ノ浜にあります。資料館:土佐清水市養老303 ご挨拶 名誉館長:ビビる大木 高知県観光特使 ジョン万次郎=中浜万次郎 150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰…

① ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

つづき 確かに戦後、高度成長を成しとげ、GDPも世界2位まで上り詰めましたが、バブルも弾け長い時間が経った今、日本人は何かを考え初めたような気がします。 増してや北朝鮮による日本の安全安心が脅かされている現在若い世代も、お花畑では済まされな…

センター試験の「樺太 帰属問題」設問に危惧

大学入試センター試験「日本史B」の問題 サンフランシスコ平和条約に、ソ連は参加していなかった 1 日本政府が「帰属未定」と主張する南樺太について、13日に実施された大学入試センター試験の日本史Bで「他国を植民地にしたり領有したりした」とする記…

日本は、世界に先駆けて人種差別撤廃を訴えた・・・パリ講和会議

人種平等を世界に先駆けて訴えたのは日本だった 1920年、第一次世界大戦の反省を活かし、世界平和の理念を強固にするために国際連盟が設立されました。それに先駆けて1919年フランスで行われたパリ講和会議で日本は「人種差別撤廃」を盛り込んだ画期…

「南京大虐殺」のウソ

「南京事件」いわゆる「南京大虐殺」については以前からウソ臭いと思ってはいましたが、それを証明してくれる人がいないか探していたところ偶然 「しばやんの日々」というブログに出会ったのでした。 南京大虐殺の真実を暴く 詳しくはこちらをご覧ください。…