人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

② ジョン万次郎に学ぶ・・・もっと評価してあげよう

 
           資料館 公式サイト
銅像足摺岬に近い中ノ浜にあります。
資料館:土佐清水市養老303
 




 



ジョン万次郎=中浜万次郎

 150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰国し、日本の夜明けや国際交流に多大な功績を遺したジョン万次郎。


  民主主義や外国での生活・考え方など、坂本龍馬の開眼も万次郎の体験によることは明らかで、ほかにも板垣退助中江兆民岩崎弥太郎などに多大な影響を与え、後に中浜万次郎と名乗った彼は、 1827年、現在の土佐清水市中浜に漁師の子として生まれました。


万次郎が幕府に召されるまで

1827年  【0歳】
土佐の中浜の貧しい漁師の次男として誕生


1836年  【9歳】

父が死亡。

1837年天保8年) 【10歳】 
稼ぎに出る。 中浜浦老役、今津太平宅の下働きに出る。


1841年  【14歳】 

宇佐から仲間と漁に出て、遭難。数日の漂流の後、太平洋の孤島・鳥島に漂着。143日間の無人島生活の後、アメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって救助される。


鳥島で5人を発見して救助した米国捕鯨船ジョン・ホーランド号
 


【漂流・無人島での死闘】

宇佐浦の漁船(船頭筆之丞他4名)のかしぎとなり、正月5日足摺岬でのアジ、サバ漁中に漂流(7日間)。九死に一生を得て、南海の孤島・鳥島に漂着します。
 

火もなく、穀物もなく、僅かな留水と海草、海鳥を食すなどして過酷な無人島生活を送りました。

そして143日後、海亀の卵を採取に寄った米国捕鯨船に救助され、ホイットフィールド船長の保護を受けました。

 

万次郎をアメリカ本土へ連れていって
養育した恩人ホイットフィールド船長

 



1842年  【15歳】

仲間とハワイで別れ、船に残りアメリカに渡ることを決心。



万次郎たち5人の漂流漁民が初めて見た異国、当時のオハフ島ホノルル港。
しばらく滞在の後、子供だった万次郎だけ再度船長と捕鯨に出て、アメリカに渡る。
 


捕鯨船員となる】

伝蔵たち漂流仲間とホノルルで別れ、万次郎は1人捕鯨船員として、太平洋へ乗り出します。
グアム、サモアタヒチ等に寄港。その航海の中で「ジョン・マン」との愛称で呼ばれます。
 
 
1843年  【16歳】
ホイットフィールド船長の故郷であるフェアヘーブンへ。養子となる。学校で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。(これが後に日本で役立つことになるのです。)

 後の幕府御用船、咸臨丸の太平洋横断の時は、唯一の通訳士として乗り込んでいます。
 
幕府遣米使節随伴艦、咸臨丸乗組員名簿に艦内職名:通弁方・中濱万次郎
太平洋横断乗組員名簿 - 咸臨丸子孫の会
https://goo.gl/LHX9Kc

万次郎が少年期を過ごしたスコンチカットネックの
ホイットフィールド船長の家

 

アメリカへの第1号留学生?フェアヘーブンでの生活】
仲間と別れ、ホノルルを出帆してから1年4カ月。万次郎は船長の故郷マサチューセッツ州・フェアヘーブンに寄港。明治元年より25年前のことでした。

アメリカ大陸での日本人として最初の生活が始まりました。
オックスフォード校(初級)バートレット専門学校(上級)で、英語・数学・測量・航海・造船等の教育を3年間受けました。
 
 
1846年  【19歳】
捕鯨船・フランクリン号にスチュワード(給仕係)として乗り込む。
 
 
1847年  【20歳】
ホノルルに入港。寅右衛門と再会。デーモン牧師と出会う。


 
 

サミュエル・デーモン牧師


15歳でホノルルを去り、アメリカ本土に渡った万次郎は、
やがて21歳の若者となり、捕鯨船フランクリン号の一等航海士として
世界周航の途中、ホノルルに立寄って、寅右衛門、伝蔵、五右衛門ら昔の
仲間と再会した。そのときのホノルルは、見違えるほど立派な町になっていた。
 

【デーモン牧師と万次郎】
 万次郎はホイットフィールド船長から、海員礼拝所にサミュエル・デーモン牧師という友人がいることを聞いていました。万次郎はホノルルに来るたび、デーモン牧師を訪ね、親しい友人となったのです。

 また、デーモン牧師は万次郎が帰国の計画を立てた際に、自身の発行する情報誌で呼びかけ、必要物資を集めてくれたり、日本に関する最新情報を教えてくれるなど多くの協力をしてくれました。
 ふたりの交際はその後も長く続いています。


 


1848年  【21歳】
一等航海士、副船長となる。


1849年  【22歳】
3年4カ月ぶりにニューベッドフォードに入港。
帰国資金を得ようと西部カリフォルニアへ向かう。


1850年  【23歳】
出発から約7カ月後サンフランシスコに到着。 金鉱で3カ月程働く。
金鉱で得た資金で上陸用ボートを購入し、帰国準備を整えると仲間と共にホノルルを出発。



【ついに帰国へ】
帰国資金を稼いだ万次郎は、ホノルルへ。漂流仲間と再会し、帰国の計画を伝えます。現地で結婚しハワイに残った寅右衛門を除く、伝蔵、五右衛門、万次郎の3人で帰国する運びとなりました。

同じくホノルルで再会したデーモン牧師は、新聞記事で万次郎の協力を求めてくれた上、アメリカ領事に頼んで、万次郎のパスポート代わりとなる身分証明書を発行してくれるなど、多大な援助をしてくれました。また、デーモン牧師の呼びかけによって数々の援助品も集まりました。
購入した上陸用ボート は「アドベンチャー号」と名付け、帰国への思いとともに船に積み込まれました。




次回は、薩摩藩領の琉球に上陸したところからお話します。


 

③につづく