人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

③ ベトナム訪問・両陛下2017/03/02・・・おばあちゃん達との面会の理由

 
天皇陛下はなぜ、初めてのベトナムご訪問を切望されたのしょうか?

それは、おばあちゃんとその家族に会う事が大きな目的の一つだったからです。

そのおばちゃんとは・・・
日本兵の妻です
日本兵の妻らと御対面  2017年3月2日

 90歳を超えたグエン・ティ・スアンさんは、言葉を絞り出すように言いました。「陛下がベトナムに来られることを嬉しく思い、頑張ってここに来ました。お心を懸けて下さり、とても感動しております。」こう話し、手にしたハンカチで目元を拭いました。

ご対面後に印象語るスアンさん3月2日

 ベトナム遺族らとの感動的な対面は、予定時間を大幅に超え、1時間近くに及んだそうです。

おばあちゃんの夫の清水義春氏は、終戦時に部隊を離脱し、ベトナム独立戦争(対フランス)に参加した日本軍兵士の1人です。




スアンさんと夫との出会い

 スアンさんは先の大戦中、軍人の集まる店で給仕として働き、清水さんと出会い1945年に結婚。清水さんは終戦後、ベトナム独立同盟(ベトミン)とともにフランスとの第1次インドシナ戦争に加わりました。スアンさんも4人の子供を連れ、北部各地を転々としました。


しかし、「ディエンビエンフーの戦い」でフランスに勝利後、清水さんら元日本兵たちはベトナムを出国しなければならなくなりました。
     

何故ならべトナムが社会主義体制になったからです。日本は負けてアメリカ型の政府になりましたから体制の違いが、いたずらしたのです。清水さんは1954年に単身で帰国。その後、長い間、音信が途絶えたのでした・・・


その後、スアンさんは女手一つで苦労して子供たちを育てました。その間、差別もたくさんあったようです。


スアンさんは、高峰三枝子さんの戦前のヒット曲「湖畔の宿」の一節を、今も口ずさむことができるんだそうです。夫の残留元日本兵、清水義春さんが仲間と歌っていたのを聞き、覚えていたのでした。

湖畔の宿
山の淋しい湖に~ひとり来たのも悲しい心~


つまり、

ベトナム人は日本の先の大戦大東亜戦争がアジア解放の戦いであったことを知っています。

知らないのはおそらく、戦後生まれの日本人だけでしょう。