人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

パラオへの旅・・・ブルーが眩しいパシフィック・パラダイス

 
 
太平洋の楽園 パラオ
必見
パラオ政府観光局
 
 
 

こんな気分になってみた~い
 
 
 
 


まずは下調べから始めましょう
 
対日感情
 パラオはその歴史上幾多の外国支配(下記の歴史参照)を受けてきましたが、現在のパラオ人は口をそろえて「日本の統治時代が一番良かった」と言います。

 以下の歴史を見れば詳しい説明はいらないと思いますが、台湾と同じくらい親日です。ここだけの話ですが台湾以上かも知れません・・・
 

 


パラオの外出門限令

 観光施設のほとんどが集中するコロール州では、月曜日から木曜日の午前2時30分〜午前6時、そして、金曜日から日曜日、祝祭日の午前4時〜午前6時は、いわゆる外出禁止の門限が実施されています。これが功を奏してか、パラオの犯罪率は非常に低くなっています。


・ 月曜日から木曜日の午前2時30分〜午前6時

    ・ 金曜日から日曜日、祝祭日の午前4時〜午前6時
 


パラオ共和国の説明
 通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国です。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都しました。日本との時差はありません。

国 旗

 

 戦後、日本が去った後1994年に米国の信託統治領から独立国となったとき、国民投票で選ばれたものですが、それは、日本の「日の丸」にちなんでデザインされたといわれます。旭日旗をモチーフにしたもので、この国の親日度をよく表していますね。

 〇を中央に持ってくるのは日本に対し失礼にあたると言う気持ちがあったらしい。

位 置


 
 

 

歴 史
 かつてスペイン領だったパラオ諸島は、19世紀末にドイツへ売却され、第1次世界大戦によりドイツが敗戦するとパリ講和会議によって約30年間、日本の委任統治が行われました。
 

 行政機関「南洋庁」が設置され、インフラや教育制度、医療施設を整備し、生活水準の向上が推し進められました。日本から多くの移民も押し寄せ、漁業やリン鉱石の採掘、かつお節の生産、米の栽培などに取り組みました。


日本統治自体のパラオの街並み
平和な暮らしがありました。
 


郵便局の外観。当時はコロール島アンガウル島に郵便局があった
 
当時使われていた郵便ポスト
 
南洋庁パラオ医院本館

パラオ人看護婦
パラオ最高裁判所

日本が作った学校で学ぶパラオ人の様子

コロール公学校の生徒と教師


 日本はパラオで、日本語の教科書を使い、日本語の教育を行いました。これには理由があります。

 パラオには、パラオ語を書くための文字がなかったのです。そして近代教育を施すため、たとえば数学や地理、歴史等の教育を行うにあたって必要な単語も、パラオにはありませんでした。

 ですから、すくなくともいったんは、そうした単語を豊富に持つ日本語で教育を行うしかなかったのです。
 


 日本の南洋政策の中心だったパラオは、ラバウルなど重要拠点に向かう輸送船団の中継基地としてにぎわいました。
日本統治時代の名残は、南洋庁が置かれたコロール島内の随所に見ることができるといいます。
 
日本統治まで人口が増えなかった南洋のこの地では、各種インフラを構築したため人口も増え、さらに教育制度も整い、発展していったのです。


南洋庁は設立と同時に以下の4種類の租税を導入しました。
1)人頭税(*1)
2)出港税
3)関税
4)鉱区税
(*1)16歳以上の男子に課せられた税で、パラオ人に対しては一律年額5円、離島民は2円、子供が5人以上いる場合は免除。日本人に対しては収入に応じ2円から50円まで11の区分があった。

この税制は1938年に改正されます。人頭税が廃止され、新たに所得税、法人営業収益税、鉱業税、利益配当税、関税、出港税、臨時通行税、タバコ税が導入され、南洋群島の税制は8区分となりました。税制改正の背景には南洋群島の産業振興の成功があります。会社や住民がを利益を上げていなければ所得税や法人営業収益税を導入しなかったでしょう。実際に1930年代中頃には、内地からの産業助成金が必要ないほどの状況になっていたのです。
 


文化
 
 かつて日本統治下にあったこともあり、パラオには日本文化の影響が見られます。

 現代パラオ語には「daijobu(大丈夫)」、「okyaku(お客)」、「denki(電気)」、「senkyo(選挙)」など日本語からの借用語が多数含まれています。何だか、いとおかし。
 
 
 

 今を生きる日本人は、かつて日本の統治下にあった国で、日本の「日の丸」を模した国旗が作られる程、戦前の日本と日本人は多くのアジアの人々から、高く評価され尊敬されていたことを忘れてはならないと思います。

 
 この事は、正しく後世に継いでいかなければならないと思います。その為にも、日本の統治下を経験したアジア各国を初め、世界に伝わる「日本の正しい歴史」を多くの日本人が知る必要があると思います。
 
 もう自虐史観の時代は終わりました。インターネットやSNSで歴史の真実が次々暴かれています。日本人もいつまでも平和呆けではいけません。
 
 日本を高く評価し尊敬してくれているアジアの国々がたくさんあることを忘れないようにしましょう。
 
 
最後に一つ、これも知っておいてください。

 日本は1994年(平成6年)10月1日にパラオアメリカ合衆国からの独立を承認、同年11月2日にパラオと国交を樹立しました。
 
 1995年(平成7年)10月1日に行われた独立一周年記念行事で世界各国からの祝電が読まれる中、社会党(当時、現社民党)の村山内閣は記念行事を無視し、パラオでは祝電はおろか日本国旗も掲揚されませんでした。   ウィキメディア
 
 何とも悲しいことです。😢 その後の民主党もハチャメチャ党でしたね。台湾に対して東日本大震災のお見舞いのお礼もしなかったんですから・・・時の外務省も同じです。臆病政府継続中・・・・・


ごめんなさいの気持ちをこめて
日本・パラオ友好の橋 日本が無償援助にて建設、2002年に開通