人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

カンボジアの歴史

 
 
インドシナ半島:旧フランス領インドシナベトナムラオスカンボジア(濃い緑)
今は亡き、ノロドム・シアヌーク元国王。
カンボジアの父』と呼ばれ2012年に死去するも
街中の至る所で肖像が掲げられ、未だにカンボジア国民の精神的支柱です。
 
 
 
フランス領となった以後は、完全独立までベトナムと似た道を辿ります。そこには日本軍との関係がありました。 

 

 
日本軍の明号作戦(クーデター)

1945年3月9日、ベトナムで決行された「明号作戦」は、同時にベトナムカンボジアラオスのフランスからの独立の第一歩でした。実は、明号作戦が開始される前、日本軍はベトナムカンボジアラオスの国王らにフランスからの独立を約束していたのです。

                          ◆ヴェトナム:アンナン皇帝(バオダイ帝)
                            ・・・・・1945年3月11日に独立宣言
                          ◆カンボジアシアヌークノロドム国王
                            ・・・・・1945年3月13日に独立宣言
                          ◆ラオス:ルアンプラバン国王
                            ・・・・・1945年4月8日に独立宣言
 
 
                             *引用参考文献
                              『戦史叢書 シッタン・明号作戦』

 

                             (防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、1969年12月)



日本の敗戦後
 1945年3月12日、ノロドム・シハヌークシアヌーク)王は、日本軍の明号作戦に呼応する形で、カンボジアの独立を宣言します。
 しかし、日本が連合国に降伏すると、1946年には再びフランスの保護下に戻り、独立は消滅してしまいます。
 

 

 シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得しました
 
 1953年には警察権・軍事権を回復し、シハヌークはフランス、アメリカ、タイを回って世界世論に訴えかけ同年11月に完全独立を果しました。
 
 
しかし途中、悲しい暗黒の時代がありました。
 
1975年(昭和50年)~1979年(昭和54年)の間
極端な共産主義を掲げるポル・ポトが残酷な独裁政治をやった時代がありました。まるで狂人が暴れた時代でした。
 
詳しくは各々、調べてください。恐ろしくて説明しきれません。


そして
現在の体制
シアヌーク元国王の息子・シモハニ国王    

 

フンセン首相
 

 

国 民 性
 

 一般的にシャイで温和な人が多く、親日感が強いと言われます。

 旧日本軍のお陰(明号作戦)でカンボジアはフランスから独立出来たと話すカンボジア人も多く、歴史の流れから親日感が湧くのでしょう。

 さらに、日本からの多額のODAなどにより橋や道路なども建設されており日本の人気は高いです。

 また9割以上の人が仏教徒ということで、私たち日本人にとってはたいへん親しみやすい国です。

 

観  光

在日本国カンボジア王国観光省