人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

私のモットーって「 なんだ坂 こんな坂 」


  私の人生のモットーは、「なんだ坂 こんな坂 」です。



 私の生まれた家は、六畳二間の貸家の2階、風呂は銭湯通いの結構不自由な環境で大きくなりました。狭い貸家で5人家族が生活して着ました。今考えると良い経験になったと思います。今の私の忍耐力が養われた時期でもありました。そんな生活が中学2年までの14年間続きました。



 父がマイホームを持ったのは私が中3の時、父は安サラリーマンだったので平屋の小さな木造しか持てませんでした。でも今考えると父は大したもんだと思います。



子供3人教育中で苦しい中でしたが、家賃を払うより自分の家を持った方がいいと判断したのでしょう。父はまだ早すぎるとは言っていたのですが、母が建てるのは今しかないと頑張って説得したのです。


 ですから食べるものも(味噌とたくあん)ばかり・・・とはいきませんが母は倹約に徹していました。私達は育ち盛りなもんですから腹がすぐ欲求不満になります。近くの農家の友達の家は芋だけは豊富だったので、その芋を当てによく遊びに出かけました。



その友達の家の庭で缶蹴りをしながら焼き芋が出来るのを待ってホクホクと頂くのは最高に美味しかったです。(当時のおやつは芋、茹で干し【芋を厚さ1cmくらいに切って茹でた後、縄に通して軒先に干したもの】、柿くらいでした) そのようにしてチャッカリとした処世術を身に付けたのでした。



 当時はそんな家が普通だったと思います。別の記事にも書きましたが私の兄弟は男ばかり3人。私は一番下ですが着る物も事を欠く生活で兄のお古を継承するのは当たり前、教科書も使えるものは下へ下へと使いました。



学校の先生も何も言いませんでした。当時はそんな子供はいっぱいいましたから。時代がそうだったんですね。いまの親はそんな事、子供にはさせないでしょうね。かわいそうで・・・


 今の日本は本当に物が豊富になりました。豊富になり過ぎて物を大事に使わないようになりました。お金さえ出せば何でも買える日本ですから。贅沢病と言うんでしょうか。


 それから人の心も変わってしまったような気がします。昔はみんなが助け合って生活し、ちょっとした娯楽でもみんなが寄り添って楽しみました。行事なども盛んでした。でもだんだん消えて行ってしまったような気がします。



さらに核家族が当たり前になって無縁社会がひどく成って、孤独死もたくさん増えて来ています。悲しく寂しいことです。


 これからの日本どっちを向いて進んで行くのでしょうか? 物は豊かになっても心をどっかに置いて来たような気がしてなりません。


 と言うことで、私は戦後すぐの環境で育ちましたから少々の事ではへこたりませんよ。社会人になって壁に当たっても、私生活で困難に遭遇しても「なんだ坂 こんな坂」で乗り越えて来ました。言い換えれば「一生懸命やれば人生何とかなる」とも言えるんですが。