人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

台湾生まれの日本人女性・・・人生を素敵に変えた76年ぶり究極の涙の再会

 

幼なじみは元気だった。
 
76年ぶりでも一目で認識できた。

 

岡山戸政事務所提供

 

 

日本統治時代に台湾で生まれた“湾生”の女性(88歳)が22日、かつて12年間暮らした南部・高雄市で、76年ぶりに当時の同級生と再会した。すでに白髪となった2人は肩を抱き合って感涙し、互いの手を取ってうれしそうに昔話に興じた。 
 
 
 
同級生探しに協力した高雄市岡山戸政事務所(戸籍業務を担当する役所)の職員によると、女性は福岡県在住で、親族とともにルーツ探しのために訪台し、15日に同事務所を訪れた。当時の資料が見つかり、出生証明を手にすることができた女性。亡くなった父親がいつも岡山の街並みを懐かしんでいたと語り、当時住んでいた場所を再訪したいという願いを同職員に伝えた。 
 
 
 
手掛かりは女性が所持していた手描きの地図。同職員はタクシーを手配し、地図を手掛かりに、一家が居住していたと思われる岡山旧駅跡地付近を案内。また、女性の同級生の消息を求め、かつて街の中心として栄えた岡山老街にも足を運んだ。 
 
高雄市 岡山駅
台湾には日本と同じ駅名が32あるという。
日本統治時代のなごりです。
 
女性が記憶を頼りに、同級生の実家とみられる古い診療所を探し出したその瞬間、扉を開けて出てきたのが、探していた本人だった。事前に連絡していないにも関わらず、2人は一目でお互いを認識したという。 
 
 
 
同職員によると、現在の岡山老街はすっかり様変わりしており、当時の面影は見られない。それでも女性は、今回の旅で得たサプライズと感動をとても喜んでいたという。 
 
 
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日本には台湾で生まれた湾生がたくさんいます。戦前、台湾は日本統治下でしたが、敗戦で家族と共に日本へ帰ってこざるを得ませんでした。
 
 
2015年10月に台湾で公開された「湾生回家」という映画が大ヒットしました。題名の意味は「台湾を懐かしむ」という意味ですが、こういった湾生が台湾を訪れた際の記録を映画化したものです。
 




そういった台湾へ私も一度、言ってみたいと思っています。