人生はドラマチック

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No2 インドは親日・・・日本に対する歴史認識


インパール戦争について
インドではインパール作戦とは呼んでいません。
 

  この作戦の本質は、日本軍約7万8000人とインド国民軍約2万人の日印連合軍による“対英インド独立戦争”とも言えます。この作戦があればこそ、戦後、インドは独立できたのかもしれません。

なぜなら、

 日本の敗戦後、日本軍と共同行動を取っていたインド国民軍将兵たちが国家反逆罪としてイギリスから厳しく処罰されそうになった時、これに対して激しい抵抗を見せたのがインドの民衆でした。

 各地で彼らを救おうとするデモや暴動が相次ぎました。こうした抵抗はインドの警察の内部からのみならずイギリス軍のインド兵の中からも生み出され、イギリス軍の艦船のうち20隻ほどが反乱兵たちに占拠されるに至ったのです。

ここまでの激しい抵抗を受けて、ついにイギリスはインドの独立を認めるに至ったのです。

こういった経緯はインド国民はよく知っています。

チャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像。
右上の旗は日の丸である。


参考まで) 日本での大東亜会議では、インパール作戦の前年、東条首相はチャンドラ・ボースに日本がインド独立のために支援することを約束しています。
 


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 インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」と位置づけています。日本軍はインド独立を支援した解放軍であって、インドは「日本が侵略戦争をした」という歴史観は持っていません


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 インド国民軍大尉で、全インドINA(インド国民軍)事務局長(S・S・ヤダバ大尉)は、インド解放のために英国軍と戦った日本軍将兵に対し1998年1月20日、こう記しています。
 「 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます 」


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 さらに、インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残しています。
 「 太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない 。」


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 カルカッタチャンドラ・ボース記念館で「東條英機に感謝をする夕べ」が2006年3月19日、催されました。


 そこには、チャンドラ・ボースの甥嫁であるクリシュナ・ボースさん、東條元首相の孫娘、東條由布子氏の姿もありました。

 この事は東條英機元首相がインドで英雄としてたたえられている日本人であることを示しています。


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そして、われわれ日本人が絶対に忘れてはならないのが、




極東軍事裁判でのパール判事の主張

 大東亜戦争後、極東軍事裁判で裁判の不当性を訴えて日本人被告全員を「無罪」と主張したインド代表のラダビノート・パール判事です。

パール判事



 いかに中国&韓国が、歴史をねじ曲げた“歴史認識”を振り回して日本を悪く言っても、インドはこれに正面から異を唱え日本を擁護してくれています。日本人として本当に嬉しく思いますね。