人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

タモリの【 一杯のかけそば 】チクリは的外れ・・・忘れてはいけない日本人の精神

タモリの【 一杯のかけそば 】チクリとは、こちらを参照

https://bit.ly/2NlT8ij

 

 その後も、「ホームレス」とか「子どもの貧困」など時代が変わっても社会的弱者は生まれ続けています。話が長くなりますのでタモリチクリについてはここまでとします。本題に戻り一杯のかけそば 】のお話が生まれた経緯を説明しましょう。

 

 平成生まれの若者たちも読んで頂けたら嬉しいです。

 

 

 
 


 大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。



 閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。



 




 店内に入ると母親が「かけそばを1杯頂きたい」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出されたかけそばをおいしそうに分け合って食べた。

 

 

 この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。

 

 


 「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。

 


しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。



 子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。





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引用:Wikipedia

 一杯のかけそば』は、栗良平による日本の童話、および同作を原作とした日本映画作品。実話を元にした童話という触れ込みで涙なしには聞けない話として、1989年に日本中で話題となり、映画化される[1][2]など社会現象にまでなった。

 

経 緯
 

 もともとは作者の栗良平が語り部となって、全国を行脚して口演で披露していた話である。それが1988年に『栗良平作品集2』の一編として書籍となる。出版後、口コミでじわじわと人気が広がり、それを共同通信が地方紙に記事を配信し、同年の大晦日FM東京の『ゆく年くる年』の中で朗読された。

 
 
 
 翌1989年1月22日に産経新聞が取り上げ、2月17日には衆議院予算委員会審議において公明党大久保直彦竹下登首相に対する質疑で当時話題となっていた本作のほぼ全文を朗読・紹介して、リクルート問題に関する質問をし、同じ自民党金丸信も泣いたということで話題になった。
 
 
 
 
その後、「読む人誰もが涙するという幻の童話」という触れ込みで知る人ぞ知る話として『週刊文春』は全文を掲載し、ワイドショーなどを賑わせ、マスコミで話題となり5月に大きなブームとなる。中でもフジテレビ『タイム3』は中尾彬武田鉄矢森田健作などの有名人を迎え、一週間の間を連日「一杯のかけそば」を朗読するまでに至った。
 
 
 
 ブームの反動として実話という触れ込みで発表されたこの話が実は創作ではないかとの指摘やつじつまが合わないとの批判もなされるようになった。上岡龍太郎は「閉店間際なら売れ残った麺がある。店主は事情を察したなら、3人分出すべきだった」と弁舌鋭く指摘した。
 
 
 
2010年、韓国で「うどん一杯」というタイトルで映画化がされている。また、舞台演劇としても韓国では上演されており、続編も公開されている。
 
 
 
 

 作者が『一杯のかけそば』を口演して日本各地を行脚したため、物語に感動した有志たちによる「一杯のかけそばを読む会」、「栗っ子の会」が結成され、これが日本中へ作品を広めるきっかけとなった。栗っ子の会が『一杯のかけそば』が収録された『栗良平作品集』の出版元となった。