人生はドラマチック

一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・

私は時々、夕焼け小焼けになる、なんてちょっとセンチだな

 
 私は、綺麗な夕焼け小焼けを見ると古里を思い出す。タイムスリップして幼い頃の想い出にしばらく浸ってしまいます。たまにほっとする瞬間です。

 
 
 
 でも、センチメンタルになりやすい私はそれではいけないと、自分に言い聞かせてしまうのです。古里を振り返ることは弱気になった表れでだからです。生きる弱さを露呈しているのです。田舎では喰えないから都会へ出て来たのにそれに挫けては敗北者と同じです。そんな時は残りの人生,生きて生きて生き抜いてやると自分に言い聞かせています。
 
 
 たまに古里を思い出すことは決して悪いことではないですよね。懐かしくまたほろ苦く、親のことも思い出すのは大事なことだと思います。
 
 
 
 私は20才で古里を出て、今は都会で生活しています。あれからもう45年経ってしまいました。父は数年前亡くなりました。母は認知症がひどくなっています。実家は長男が継いでくれているので安心です。
 
 
 古里ってのは、実際より美化して思い出しているように思えませんか。実際、嫌なこともいろいろあったはずです。友達と喧嘩をしたことや虐められたこと。貧乏だったので惨めな思いをしたこと。
 
 
 でも、それで良いのかもしれません。いやそれで良いのだと思います。それらをまとめて古里と言うのかもしれません。玉手箱にような、人生の宝物と言っても良いでしょう。
 
 
 
 綺麗な夕焼け小焼けを見て、哀愁と懐かしさに浸れることは,日頃の疲れを癒してくれるのと同時に人生の復習をさせられてるみたいです。故郷を出てからの人生には入ろんなことがありましたが、これからも頑張って生きて行こうと思っています。
 
 
 前を向て明るく楽しく、良い思い出をつくるために生きて行こうと思います。
 
 
 私にはモットーがあるんです。辛い苦しいことに出会った時は『 なんだ坂、こんな坂 』で乗り越えて行くことです。
 
 
 
 
 郷愁をそそる昭和の村